文化

はんこのバンコドウは文政元年創業。川越の歴史を紡ぐバンコドウ、七代目岡野さんが目指すのは川越に根付いた街のハンコ屋

はんこのバンコドウ
1818年文政元年創業、はんこのバンコドウ!

 

はんこのバンコドウは唯一無二”のハンコを一級印章彫刻技能士が作成。現在は7代目が店を受け継ぎ、初代から変わらず手彫りでハンコを仕上げています。

今回はバンコドウの岡野さんにお話を聞いていきます!本日はよろしくお願い致します!

バンコドウが川越に立ち上げられた背景について教えてください!

はんこのバンコドウ

岡野:バンコドウの創業は200年以上前で創業者に直接聞いたこともありませんので、あくまで想像になるのですが、川越には新河岸川があり、舟運があり、江戸からも人が集まる街だったということがあると思います。
さらに近くに役所があったということで、当時の需要があったものの一つのハンコを生業にしたのだと想像がつきますね。

バンコドウはもともと萬古堂(ばんこどう)という漢字の名前でした。
萬古には永久に、永遠にという意味があります。そこから取ったのだと思います。また、現在はハンコと言いますが、昔は印判などという言い方もされていました。ハンコとバンコが混ざっただけかもしれないですね。

バンコドウ七代目岡野さんがバンコドウを継がれたきっかけについて教えてください!

はんこのバンコドウ

岡野:自然と継ぐことになりましたね。
家業ですので、昔からその姿を観てきたということもあります。
もちろん他の道に進むことも考えたことはありますが、私が家業を継いだことは必然だったと思います。そこに意味はないのではないでしょうか。永くお店をやっているところはどこもそうかもしれませんね。いきりたってこれがやりたいんだと家業を継ぐ方の方が少ないような気がします。少し肩の力が抜けているからこそ長く続くのかもしれませんね。

私は高校を卒業して、19歳の時から4年半修行で川崎の方へ行っていました。
修行を終えてバンコドウに帰ってきてからずっと続いていますので、この仕事はもう23,4年になりますね。

はんこのバンコドウ修行は大変壮絶なものでした。
修行ではなく、丁稚奉公に似たようなものでしたね。今は国の制度などが整っていますので、きちんと払うべきものは払わなければなりませんが、当時は勉強させてもらっているのだから、お給料をもらえる方が珍しいという感じでした。

私が修行し始めて初めの1ヶ月は1日も休むことなく働いてお給料は5万円でした。
4年半修行して最後バンコドウに戻ってくる前のお給料は6万円でした。川崎でしたので当時住んでいたアパートの家賃が7万円で、頭を下げて家賃だけ払っていただいていましたね。たぶん皆さんが想像されるよりも壮絶な修行生活でしたが、多くのことを学びました。

決して当時には戻りたくありませんが、あの時があったからこそ今もこうしてバンコドウを続けていられるのかなと思います。
手作りのこだわりなど、今も大事にしていることの基礎の部分は修行時代に身につけました。とはいっても本当に大変でしたね(笑)。

修行先では技術的なことは何も教えてもらえません。
教えていただいたのは、仕事のノウハウなどの部分でした。
技術的なところは神奈川に1校だけあった職業訓練校で学びましたね。月曜日から金曜日までは修行先で働いて、土日は職業訓練校で学ぶという生活を送っていました。なので休みはありませんでしたね。技術の部分は職業訓練校で学んだのですが、修行時代に他のお店で働くという経験をできたことは本当に良かったと思っています。やはりそれぞれのお店でそれぞれのやり方がありますので、他のお店の仕組みを知ることはバンコドウを経営する上でも重要でしたね。

バンコドウのこだわりや大切にしていることについて教えてください!

はんこのバンコドウ

岡野:ハンコにもいくつか種類がありますが、三文印鑑は別として、実印や銀行印などは同じものがあってはいけないという絶対のルールがあります。
このルールを支えるのが、手で作るということです。
手作りのハンコは同じ文字を3日に分けて彫ったとしても違うものが出来上がります。これはバンコドウのHPにも記載をしていることなのですが、人は十人十色みんなが違います。その人に合わせたようなニュアンスの文字を彫ることがすなわち同じものができないということに繋がっていくのだと思います。

もしハンコを注文いただく際に接客ができるのであれば、その人の顔や話し方、雰囲気などをヒントに文字のニュアンスを変えていきます。これが私のこだわりですね。

はんこのバンコドウお客様に合わせた文字にしなければ、自分自身のこだわりに固執した文字になってしまうと考えています。
もちろんバンコドウにはバンコドウの文字の系統というものがありますが、その中でもお客様を表現しなければいけないと思っています。

ですので、できればネットで注文いただくのではなく、直接店舗に来ていただいて、お話をした上で、文字を彫りたいと思っています。
ネットで注文いただく際はそのお客様ご自身の思いなども注文の際に教えていただくようにしています。そうすると「今度結婚をして新しくハンコを作ります。いいハンコにしたくて、バンコドウさんにお願いをしました。」などとコメントをくださいます。

それを聞くと人生の節目にこのハンコを作られるんだなと、お客様を想像しながらハンコを作ることができます。心が通わなければ良いものは絶対に作れません。

バンコドウ岡野さんが仕事をする上で、苦労されていることを教えてください!

はんこのバンコドウ

岡野:苦労は尽きませんね。自営業の人はどなたも苦労しっぱなしじゃないでしょうか(笑)。

苦労を数えればキリがありませんが、ハンコが出来上がってお客様にありがとうと言われればそれは吹き飛んでしまいますよね。
そういった一言でまた良いものを作ろうと思えますね。
苦労を抱えたままでは良いものはできません。
苦労は笑って飛ばさないといけませんね(笑)。
苦労だと思ったら苦労だし苦労じゃないと思ったら苦労じゃなくなるものです。

バンコドウは川越にとってどのような存在でありたいと考えていますか?

はんこのバンコドウ

岡野:これは1つだけ確固たるものを持っています。街のハンコ屋さんになりたいと思っています。
私はこの川越で生まれて、川越で死んでゆきます。そしてありがたいことに今も商売を続けさせてもらっています。これは人それぞれ、ものづくりをする人、お酒を作る人、お酒を売る人、醤油を売る人、作る人、なんでも良いのですが、そういう人たちが作り出すこの街の一つになりたいということですね。

ハンコの世界にも、彫る技術に秀でていて、芸術家になる方もいらっしゃいます。
私はそこを目指しているわけではありません。私自身が輝きたいのではなく、輝く場所を作ってくれている人々に感謝をしたいと思っています。

大手の家電販売店やスーパーマーケットは確かに便利ですが、これからの日本では街の電器屋さんとか街のお肉屋さん、八百屋さんみたいなところが残っている地域が生き残るのだと思います。
確かに街のお店を使うことは不便なこともあるのかもしれません。しかしそこには人と人の繋がり、出会いがあります。私は商売もしていますので、あそこに買ってもらったら何かお返しにあそこで買わないとねという地域を守るコミュニティに参加することもできます。そういったことを大切にしていきたいですね。

バンコドウの進化させたい、伸ばしていきたいところについて教えてください!

岡野:やはり技能を伸ばしたいですね。
自分のビジネスに対する直感など、経営をする上で大切なことはいくつもあるのだと思いますが、ものを作る人間はまず技能がくると思います。

確かな技術があってこそ、次のビジネスにつながっていくと思います。
技能を高めることに終わりはありませんし、満足することもありませんね。たまに良いものができたなと思うときはありますが(笑)。

私は人が好きなので、もっと人と関わりたいなと思っています。
そうして関わった人にはハンコの大切さも教えていければなと思っていますね。

最後に川越の魅力について教えてください!

岡野:祭りですね。川越祭り、これしかありません。
皆さんが思ってるより祭りが好きですね(笑)。

歳をとってきて、祭りを運営する側にも回ることができるようになってきました。
やはり祭りは深いですね。

祭りを通して、年齢性別問わず老若男女の人々と触れ合えて、一緒に楽しいことができるのは素晴らしい
ですよね。
私自身の人間としての幅も広がっているように感じます。
古い建物を残しても、中にいる人が変わってしまうことがあります。
しかし「祭り」は変わりませんよね。これからも祭りを支えていきたいと思っています。

住所 バンコドウ 本店
049-222-0135
川越市仲町2-12
営業時間:9:00-18:00
定休日:日曜祝日、年末年始

バンコドウ アトレ川越店
049-226-7017
埼玉県川越市脇田町105
営業時間:10:00-19:00
定休日:第一・第三日曜日、年末年始

公式HP https://bankodo.com/