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十限無は成田山川越別院本行院近く、人気のお蕎麦屋さん。店主がそばの実からこだわり抜いた素材で生み出される究極の一枚を

十限無川越
十限無は喜多院から徒歩約5分の人気のお蕎麦やさん!

 

十限無は鰹節1本からでもこだわりの素材で、お客様に満足いただけるようなこだわりのそば提供を目指す川越のお蕎麦やさん。店内は、テーブル席と、靴を脱いであがる半個室の席があり、ゆったりと落ち着いた雰囲気で、お蕎麦をいただくことができます。

今回は十限無の齋藤さんにお話を聞いていきます!本日はよろしくお願い致します!

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十限無齋藤さんの川越とのつながり、十限無を川越に立ち上げた背景について教えてください。

十限無川越

齋藤:私の父も母も川越の生まれです。
両親は結婚してから日高や飯能の方に引っ越しをして、そこで私が生まれました。
その間も祖父と祖母はずっと川越にいました。約20年前に祖父と祖母が他界してしまって川越の家が空いた時に、そこに私が入ることになりました。暮らすことになった家が丸広百貨店川越店の裏で人通りが多い所なので、いつかここで商売をやろうと思いながらもずっと東京で働いていました。

いざ川越でお店を開こう思い、お店の図面なども自分で考えて、建築士さんに出して、あとはGOを出すだけというとき「本当にここでいいのか。自分が店をやりたいのはここなのか」と考えるようになりました。
私は少し街中から外れていて、知る人ぞ知るみたいなお店をやりたかったんです。
丸広の近くなら人はたくさん来るけれど、それだと忙しさに追われて作業を毎日こなすだけになってしまいます。それは自分がやりたいことではなかったんです。

現在十限無がある場所を選んだ理由は、以前ここにあったお店に来たことがあったからです。
私が20歳くらいの時、両親とは疎遠でしたけれど、祖母とはつながっていて、祖母が元々ここにあったお蕎麦屋さんに連れてきてくれていました。
その時に、「将来大きい規模じゃなくてもこれくらいの広さのお店が持てたらいいね」と言われていました。内見の際にそれをぱっと思い出して、ここでやると即決しました。

十限無齋藤さんが蕎麦職人の道を選んだ理由を教えてください。

十限無川越

齋藤:うちの家系は全員が警察官で父も母も祖父も祖母も兄弟も全員警察官です。
しかし、私は小さい時から蕎麦屋になりたいと思っていました。それは祖母が長野の出身でそばが好きだったことが大きな要因です。
祖母は小さい時に手を引っ張ってよく川越周辺のそば屋さんに連れていってくれました。

一時期、私が道を逸れてしまった時にも唯一祖母だけが、こういう子がいたっていいじゃないと理解してくれました。
年頃になって14.15歳の時に蕎麦屋になると言って家出しました(笑)。
その時に東京行って修行して蕎麦屋になるからと親とも縁を切ってしまいました。

そのときは特にお店の知識なども無くどうせ行くなら銀座だと言うことで、銀座で何軒かお蕎麦屋さんを見て回り、一番たたずまいがかっこよかったお店に修行で入りました。
そこは、歴史のある名店で周りはどこかの蕎麦屋の息子というようなサラブレットしかいませんでした。しかし、ここでのし上がるしかない、銀座で蕎麦と言えば齋藤だというくらいになろうと頑張りました。そこで結果を残すことができ、24歳の時には6店舗を抱える総料理長になりました。
そうすると、色々なお店から声がかかって、恵比寿にある初代というお店に引き抜かれました。初代で僕が考えたのが、今も有名になっている白いカレーうどんでした。考案してからそれを見たマスコミが詰めかけて、僕はちょっとした有名人みたいになりましたね(笑)。

齋藤さんが十限無を始めてからこれまでの歩みについて教えてください。

十限無川越

齋藤:この場所で十限無を始めましたが当初は、1日空けてもお客さんが3人くらいしか来ませんでした。
メニューも色々替えたりする中で徐々にお客さんも増えてきて、売り上げが前月の倍になるのが数カ月続いて軌道に乗り始めたときに新型コロナウイルスが流行ってしまいました。
コロナの流行り始めには、なかなかお客さんが入らない時期もありましたが、この店がなくなったら困ると言って毎日来てくださる人もいて、なんとか売り上げを確保していました。

なによりも嬉しかったのは、年配のお客さんから、心配の電話がかかってきて、お金の心配をしてくれて、大金を貸そうとしてくれた方が何名もいたことです。
そのときに自分は信頼されているのだと思って、軽々しくお店をやめたいなんて言ってられないなと感じましたね。

最近では地元の人だけでなく、土日などは若いお客さんも増えてきて、このあたりの飲食店では一番売上を立てているのではないでしょうか(笑)。
十限無では、SNS等はやっていません。
妻が、開業当初Twitterを少しやり始めたんですが、投稿を見て勝手に期待値を上げてきて、実際は思ったよりも普通だったとなったら困るので、やめてくれと言いました。お店に来てもらってそこで判断してもらえばいいと思っていますので、わざわざこちらから発信しなくても、「あそこのお店、この前行ってよかったから今度一緒に行こう」と本当に十限無を好きな人がどんどん広げてくれたらいいなと思っています。

また、うちはコロナ禍でも食べたい人が食べにくればいいというスタンスでやっています。コロナ禍でテイクアウトをやらないのかという声も多かったですが、どんなものも持って帰って家で食べたらおいしくなくなると思います。
十限無では、お店に来てもらって洗い物まで含めて代金を頂きたいので、無責任になるようなテイクアウトは一切やりませんでした。
その代わり、1度目の緊急事態宣言中は全くお客さんが来なくて本当に大変でしたね(笑)。

十限無齋藤さんのこだわりやお店の特徴について教えてください。

十限無川越

齋藤:この仕事はこだわってなんぼだと思っていますし、こだわらなかったらすることなんてないんですよね。
作業工程も、てんぷらを揚げる、おそばを打つ、出汁を取っておつゆを作る、薬味のねぎを切る、くらいでやろうと思えば素人でもできるものです。

十限無でこだわっていることは自分が気に入っている食材を使うということです。
例えば、鰹節一本でも、電話やネットで注文するのではなくて、自分で買いに行って、作っている人と接して買っています。そばの実もあえて長野に直接買いに行きます
その場で、こういうそばが打ちたいとかこういう風にしたいと言うことを伝えて、お互いプロとして話をする中で信頼関係を築いています。1年くらい前も、うまくそば粉を引けないときに、電話をしたら長野から飛んできて石臼の調整をしてくれました。これも顔なじみであることによる信頼があったからこそだと思います。

十限無齋藤さんが仕事をしていて喜びを感じる瞬間について教えてください。

十限無川越

齋藤:そばを食べておいしかったと言ってもらえる時はもちろんだけど、常連のお客さんにいろいろなものを作って喜んでもらえるときが嬉しいですね。
今日もビーフジャーキーを作って良く来てくれるお客さんにあげました。最近だとカレーも1からブレンドして作って、お客さんにあげたら、「おいしかった!これが1000円でも買うよ」と言ってもらえました(笑)。
ただそばを売って、そばを食べて帰るという当たり前の関係を越えた、人間としての付き合いができた時は喜びを感じますね。

あとは、お客さんの中に、最高級の牛丼を食べてみたいと言う方がいて、だったら作っちゃおうということで、肉を選んで、そばつゆで煮て、最高級の牛丼を作りました。
1杯1万5000円くらいになったのですが、食べたお客さんもおいしいおいしいといって喜んでくれましたね。

十限無齋藤さんが仕事をしていて辛いと感じる瞬間について教えてください。

齋藤:辛さや困難を感じるときはないですね。
今日はやりたくないなみたいなこともまったくなくて、いつもよしやるぞという感じです。たまに思うとすれば従業員が少ないことで少し大変かなくらいですかね。

十限無が進化していきたい、伸ばしていきたい部分について教えてください。

齋藤:最終的には山にこもりたいんですよね。
自分は自分が打ったそばを食べたい人だけが食べに来ればいいという考えです。
陶芸家のように、もはや自己満足の世界だと思います。陶芸家が山にこもるように、最終的には蕎麦もそうなっていくのかなと思っていて、山とか田舎で店を始めて、食べたい人だけが来ればいいよという域に到達できればいいですね。

十限無齋藤さんが思う川越の魅了、好きなところについて教えてください。

齋藤:川越は情深い人が多いですよね。
この人困っているんだとわかったらみんなで支援をしてくれます。普通なんの関わりもない蕎麦屋の親父にお金を工面してあげようとしないですよね(笑)。そういったことからも川越の人々の人情を感じます。

住所 〒350-0055 埼玉県川越市久保町6−6ー6
電話番号 049-277-5752
営業時間 [終日] 11:00~15:00(L.O) 18:00~23:00
日曜営業
アクセス 本川越駅から814m
公式HP https://twitter.com/jugemukawagoe

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