川越・駄菓子問屋あらいは観光地や最寄駅からのアクセスも良い、ご夫婦で経営されている川越の駄菓子屋さん。菓子屋横丁など川越といえば、お菓子という文化を守る川越の大事な小売店です。
- 駄菓子問屋 有限会社あらいさんがお店を作ろうと思われた経緯にはどのような理由があるのでしょうか?
- 駄菓子問屋 有限会社あらいさんとして、駄菓子を取り扱おうと思った経緯、その中で川越にお店ができた経緯には、どのような理由があるのでしょうか?
- 川越といえば、菓子屋横丁などお菓子の街というイメージが強いですが、駄菓子問屋 有限会社あらいさんとして今の川越をどう見ていますか?
- 駄菓子問屋 有限会社あらいさんを運営していて、喜びを感じる瞬間はどのようなものになりますでしょうか?
- 広報活動を駄菓子問屋 有限会社あらいさんはかなり積極的に実施されている印象を持っていますが、どのような背景がございますか?
- 川越の街の魅力、好きなところがあれば教えてください!
駄菓子問屋 有限会社あらいさんがお店を作ろうと思われた経緯にはどのような理由があるのでしょうか?
新井:お店を作った経緯は、1953年(昭和28年)に先代である父がお店を川越で始めたのが経緯です。
今はそのお店を引き継ぎ、夫婦2人で駄菓子問屋を経営しています。
父の話では最初はお店の家賃も払えないということで、間借りからスタートし、リアカー1台で菓子問屋を創業したと聞いています。
なので、当時は間借りで置かせてもらっているお菓子を自転車やリアカーに載せて、お客さんを探すところから始まりました。
お店ができた当時、川越には駄菓子屋さんが多かったこともあり、菓子の仲卸を主に行っていました。 仲卸はうちでまとめて購入したものを、他の小売店にバラで駄菓子をおろすという形でお店を運営しておりました。
そのため、創業当初は、一般のお客さんに1個10円でお菓子を売るといったような、いわゆる小売商売はしていませんでした。
その後、1963年(昭和38年)に今の場所に店舗を構え、時代の流れとともに商売を行ってきました。
町の駄菓子屋さんの減少もあり1995年(平成7年)から現在の小売、卸の商売を始めています。
駄菓子問屋 有限会社あらいさんとして、駄菓子を取り扱おうと思った経緯、その中で川越にお店ができた経緯には、どのような理由があるのでしょうか?
新井:先代の父が昔でいうところの丁稚奉公という形で、15、16歳くらいで、東京の方に修行で出たんです。
その時の修行先が菓子問屋だったそうで、駄菓子屋さんはその経緯でなったんだと思います。
父は小卒って言ってましたね。(笑)
父の出身は川越ではなく、東松山なんですが、なぜかお店は川越にできていますね。(笑) 先代はなくなってしまっているので、なぜ川越にできたのかという経緯はわかりません。
ただ、川越にお店ができたのは先代がどうやら東京の近くでお店を出すのだと、修行先の会社と競合してしまうということでダメだ、ということで川越になったと聞いています。
今では川越といえば駄菓子だったり、お菓子屋という印象が強い印象ですが、関東大震災で錦糸町の問屋さんが地震で打撃を受けたときに、川越にその多くのお店が移動してきたそうなんです。
それで川越に菓子屋が多くなったという話を聞きました。
川越といえば、菓子屋横丁などお菓子の街というイメージが強いですが、駄菓子問屋 有限会社あらいさんとして今の川越をどう見ていますか?
新井:今でこそ、川越で菓子といえば菓子屋横丁と呼ばれるぐらいですが、昔は、菓子屋横丁以外にも駄菓子屋さんがかなりあったんです。
しかしながら、今となっては市内にある駄菓子屋さんもどんどん少なくなり、うちのお店がある六軒町ではうちだけになってしまいました。
昔は一軒家でスペースが多いと「じゃあ、ここで駄菓子を売ろうか」ということで駄菓子屋さんを始めるというのは多かったです。
それは当時、子どもが帰ってくるときに家をあけるというのを避ける風潮があって、駄菓子屋さんを家でやれば、子どもが家に帰ってきてもおかえりということで、家にいることができるというのも駄菓子屋さんの大きなメリットでしたね。
川越で駄菓子屋さんが減ってしまっている中で、駄菓子屋さんがなくなっちゃうのはすごくもったいないので、、小売というか、いわゆる1個単位でのお菓子の販売を始めるようになりました。
お客さんがこれを入れて欲しいといえば入荷したり、できる限りお客さんのニーズに沿って商売しています。
最初っから作られているものを横流しで販売しているというよりも、お客様に寄り添った販売方法を目指しています。
駄菓子問屋 有限会社あらいさんを運営していて、喜びを感じる瞬間はどのようなものになりますでしょうか?
新井:小売をやっていると、卸業と違って、いろんなお客さんに直接的に触れ合うことができるのはとても大きな魅力ですね。
もう25年も小売りをやっているので、小さい頃にお客さんとしてきてくれた子が大人になって、「昔、ここでお菓子かってました!懐かしい!!」なんて、また戻ってきてくれることがあるのはとても嬉しいですね。
なので、こんなご時世ではありますが、来店してくれる人が笑顔になれる場所を目指していきたいですね。
本当に、子どもたちがニコニコして、ありがとうって言ってくれるのはとても嬉しいことですよ。
広報活動を駄菓子問屋 有限会社あらいさんはかなり積極的に実施されている印象を持っていますが、どのような背景がございますか?
新井:うちのような駄菓子屋や個人商店は、昔ながらのお付き合いは多いですが、どんな商売をやっているかわかりづらかったり、お店の雰囲気もわからないので、入りづらかったりします。
店主も高齢化してきていて、せっかくいいお店でも、知ってもらうきっかけがなかったりして閉店してしまうお店も増えてきています。
なので、もっと親しみやすいお店、気軽に相談できるお店なんだよということを広く知ってもらう為にSNSを通じて息子が広報活動をはじめました。
ほんとに小さい個人商店なので、広告費なんてかけられませんので、SNSを通じてお客様から問い合わせが来たり、評価してもらえたりするととても嬉しいです。
駄菓子問屋 有限会社あらいをより世の中に発信していけるようにチャレンジしています
川越の街の魅力、好きなところがあれば教えてください!
新井:街並みや、人柄は川越の魅力ですよね。
川越にゆかりのある人は、都内とかに出ても、川越に戻ってくることも多いなと感じていて、みんな川越が好きなんだなと思います。
あとはやっぱり住みやすいですよね。
都心ではないけど、川越ならなんでもあるし、川越からは都内にも出やすい。
そういう魅力が川越にはあると思いますね。
また、古い町が多いからこそ、隣近所や個人商店との繋がりもまだところどころに残っていて、ヒトのつながりを感じられる街なんだと思いますし、そこも魅力の一つだと思います。
住所 | 〒350-0041 埼玉県川越市六軒町1-16-11 |
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駄菓子問屋 有限会社あらいへのアクセス | 東武東上線・川越市駅 徒歩5分 西武新宿線・本川越駅 徒歩5分 |
駄菓子問屋 有限会社あらい公式HP | http://arai-dagashi.com/ |
駄菓子問屋 有限会社あらい公式SNS | Twitter: https://twitter.com/dagashi_arai FaceBook: https://www.facebook.com/dagashidonya.arai/ |