生活

須賀昭夫写真事務所は川越出身の須賀さんが経営する写真事務所。お客様ファーストで、海外での経験や報道での経験を生かした写真は主役をさらに引き立てる

須賀昭夫写真事務所川越
川越市を拠点とするフォトグラファー須賀昭夫さん!

 

須賀昭夫写真事務所は川越出身の須賀さんが経営されている写真事務所です!大学卒業後、制作会社で天才たけしの元気が出るテレビ、それいけ!!ココロジー等のアシスタントディレクターとして働いた後1993年に渡米。数々の経験を経て現在写真事務所を経営されています。

今回は須賀昭夫写真事務所の須賀さんにお話を聞いていきます!本日はよろしくお願い致します!

須賀昭夫写真事務所須賀さんのこれまでの人生と事務所を立ち上げた経緯について教えてください。

須賀昭夫写真事務所川越

ニューヨーク時代
須賀:私はニューヨークにあるパーソンズという美術大学を卒業しました。
そこで写真を学び、卒業後はニューヨークで仕事をしていました。
現地では、Shu Akashiさん、井津建郎さんという著名なフォトグラファーのアシスタントをしながら、徐々に自分の仕事も進めていました。

私には小さい時からの夢があって、人種、国籍、宗教、肌の色、社会的立場、生い立ちなどさまざまな違いからの偏見を持たず、互いをただの個人として受け入れ、尊重していける世の中になって、皆が仲の良い世界ができれば良いなと思っていました。
そうしないと争いばかりで、地球や人間のDNAともいえる文化がこの世からなくなり、もったいないなと子ども心に思っていて、21世紀を迎える時に平和を訴えるようなアート作品を発表したいと考えていました。

21世紀を迎えるタイムズ・スクエアでのカウントダウンの中で世界平和を訴える写真展、NON-COLORED(非色)を行うことができ、一つの夢が叶いました。
そのまま一生ニューヨークで写真家として暮らしていきたいと思っていましたが、9.11アメリカ同時多発テロが起こり、当時婚約者だった妻がワールドトレードセンタービルで働いていたこともあり、本人は幸運にも助かりましたが酷い経験をしたため、日本に帰って結婚することにしました。

最初の帰国後

しかし、ニューヨークの大学を出て、そのままキャリアを始めたので日本には写真家としてのコネクションは殆どありませんでした
ニューヨークではコマーシャルやファッションなど、作り込む写真を撮っていましたが、日本に帰って来た直後は写真の仕事は多く入ってこなかったため、どんな種類の撮影仕事でも請け、また他のアルバイトをしないと生活ができませんでした。
帰国後1年くらい経ったときにたまたまヨーロピアン・プレスフォト・エージェンシー(epa)というドイツの通信社の日本支局長と知り合いました。
その方はアメリカ人で、私がニューヨークのグランド・セントラル駅での写真展で観て、鮮明に記憶に残っている写真を撮った本人だったので、それが分かった時はとても驚きました。彼も私がタイムズ・スクエアで発表した作品のことを知っていました。

また、当時はフィルムからデジタルに変わる狭間の時代で、私はパーソンズを卒業したこともあり、英語もデジタルも当時としては扱える方で、また、私のニューヨーク時代の二人の師匠が彼の憧れの人だったということもあり、「凄く強い縁を感じるから一緒に働かないか」と誘われました。
その頃の私はニュース写真に対して全く興味が無かったのですが、アルバイトをしているよりはカメラを触れる仕事で生計を立てた方が良いのではと考え、報道写真の世界に入りました。
その後、ロイター通信から声を掛けてもらい転職し、半年後にシンガポールにフォト・エディターとして移動することになりました。
私も志半ばでニューヨークから帰ってきたので、もう一度海外で仕事ができることになったことは本当に嬉しかったです。

シンガポール時代

はじめは2年くらいで日本にフォトグラファーとして戻すと言われていましたが、結局フォト・エディターのまま6年以上シンガポールにいました。

色々な好条件も重なってシンガポールでは直ぐに永住権を取ることができました。永住権が取れたおかげで子どもを近所の公立の学校に通わせることができました。それもたまたまシンガポールの中でもトップレベルにある学校でした。ただ、住んでいた場所の裏にあって近いという理由だけで選んだのですが周りからは凄く運が良いと羨ましがられました。

しかし、その後色々なうわさが流れてきて、公立学校に行かせたのに将来その子どもが軍隊に行かないで帰国するとペナルティが発生し、最悪の場合は息子がシンガポールに今後二度と入国ができなくなるもしれないと言われはじめました。親の都合で息子の人生にハンデを負わせるのが嫌で色々考えていた時、私がニューヨークやシンガポールに勝手気ままに移住出来たのは川越という、いつでも帰ることが出来る場所があったからだということに気づきました。そして、自分の子どもにもしっかりと日本に根を張らせてあげたいという考えに至り、帰国することを決意しました。

再度帰国

しかし、いきなり帰ってもニューヨークから帰国したときと同様に仕事に困ると思ったので、日本で食べていける道筋をつけるために私は2年間ロイターの社員としてシンガポールに残り、家族だけを先に日本に帰すことにしました。ところが家族が帰国して3カ月後、今度は3.11東日本大震災が起こり、日本人として直ぐに日本に戻るべきだとの考えに至り、急いでロイターでの仕事に整理をつけ、家族が帰国した約半年後に私も日本に戻りました。

またも急遽の帰国となり、何の準備もできぬまま今の事務所を開くことになりました。家族も増えたので以前のようにアルバイトとの掛け持ちなどでは生活は難しいと思えましたし、ニュースの世界に戻るつもりはなかったので、コマーシャルやファッションまたはイベントなどの写真撮影をメインの仕事にするために、自分の事務所を立ち上げようと考えたのがその理由です。

須賀昭夫写真事務所須賀さんの仕事をするうえでのこだわりについて教えてください。

須賀昭夫写真事務所川越

須賀:仕事によって違いますが、今一番依頼の多いイベントの仕事では、良い写真を撮るのは当然のことでありながら、そのために越えてはいけない一線を守ることを大切にしています。
ここで人の前に行ったら良い写真が撮れるだろうなという場面が多々あるのですが、それをやってしまうと場を壊してしまい、仕事自体が成立しなってしまいます。
つまり、目立たないようにふるまう、邪魔にならないように動く、ということをいつも思いながら撮影しています。

フォトグラファーがでしゃばってイベントの雰囲気を壊してはいけないので、「あのフォトグラファーは空気みたいな存在なのにいつの間にこんな写真を撮ったのか」と思われるようなスタイルを目指しています

また、イベントや学校関係の様な数千枚を短時間の間に撮影する仕事では100点満点の写真を狙うというよりも、コンスタントに失敗なく常に80点の写真を撮れるように心がけています

商品を撮るときには、最終形をどうするかをしっかりと決めた上で、それに合うセットを組み、何度もテストしながらじっくりと撮影することを心がけています。
例えば、背景までを含めた写真だったらそのまま綺麗に作り込めば良いのですが、切り取って合成する写真であれば光の当て方で違和感が出ないよう、常に最終形を頭の中に描いて光を作っていきます。

さらに慎重に写真を撮りたいとき、またはベストな構図を頭で描けない時は鉛筆と紙をもってデッサンから始めることもあります。商品の宣伝に使う写真で一つ撮るのに非常に時間が掛かりそうなときには、実際の撮影の何日も前からデッサンを始めることもあります。デッサンをしてみると商品の細部まで色々なことに気づき、商品の一番良い表情が分かってくることが多いので、その準備をしておくと撮影の時に迷いが消えて良い写真を素早く撮れることが多いと思います。

こだわりとして私の個性を適度に出すようにしています。
須賀昭夫が撮った写真ということを少しは作品の中で表現すようにはしますが、基本的にはクライアントの意向に沿って撮ることが一番重要であり、その上で可能な範囲で+αを出すことを意識しています。
その出し方も年齢や時代と共に変わってきていて、私自身に過去に対するこだわりがないので、その時にあった良いもの、良い方法を取り入れるようにしています。

須賀昭夫写真事務所須賀さんが仕事をしていて喜びを感じる瞬間について教えてください。

須賀:努力した結果、予想以上に良い写真が撮れた時に喜びを感じますね。
あとは予想以上に面白い写真が撮れた時も非常に楽しいです。ただ問題は、フィルムの時はそれが結構起きたのですが、デジタルになるとなかなか起きなくなりました。

デジタルというのは自分が頭で描いたイメージに近づけるのは速いのですが、出来上がった写真はなかなか想像を越えていきません。
フィルムは「え、何でこんなことに!」という時もあれば、「わぁ、こんな風になったのか。面白い、ラッキー!」という時も多々ありました。だから最近は喜びを感じにくくなっているのかもしれません(笑)。

須賀昭夫写真事務所須賀さんが仕事をしていて大変なことについて教えてください。

須賀昭夫写真事務所川越

須賀:以前に撮ったものの写真が非常に綺麗に撮れて、皆にも絶賛されて、そのイメージが頭に残っていて、なのに同じクライアントの仕事で違うものを撮る時に同じようなレベルで撮影できないときは辛いです。
そのような時は大体思考が迷路に入ってしまっているので、シンプルな方向に戻して0から光を作り直します。そうすると映像もスッキリしてきて、仮に目指す方向が多少変わってしまっても、最終的に作品のレベルを思っていたところまで引き上げられたりすることもありました。いつも上手くいくとは限りませんが・・・。

ニュース写真をやっている時は、撮りたい瞬間がいつ来るかわからないので、待っている時間が長いと辛いこともありました。大雨の中のサッカーの試合などの撮影の際には、「これ以上雨に濡れたらカメラが壊れて撮影が出来なるのではないか」という恐怖を感じたこともありましたね。

須賀昭夫写真事務所が今後伸ばしていきたい、進化させたい部分について教えてください。

須賀:写真家としての最終的な夢があって、死ぬまでに世界中の幸せな風景や場面を撮り、後世に残したいと思っています。
笑顔の風景、人や自然、そして人間が作り出した素晴らしい文化を感じる写真を命が絶えるまで撮り続けたいです。
そして最後には宇宙から地球を撮りたくて、これは絶対にやりたい目標です。
将来は今よりも宇宙に行きやすくなると思うので、その時まで健康は維持したいですね(笑)。

須賀昭夫写真事務所須賀さんの思う川越の好きなところ、魅力について教えてください。

須賀:ここで生まれ育ってしまったので川越の良い部分って改めて聞かれると、正直あまり良く分からないです。
どこに生まれても自分の生まれ育った町が好きだと思うし、だけど私は友達がたくさんいるから川越が好きです。

ニューヨークから帰ってきた時も、シンガポールから帰ってきた時も、周りの人たちに物凄く支えてもらいました。仕事を紹介してもらったり、本当はいらなかっただろうなと思うような仕事をわざわざ作ってくれたりもしました。電車の車内広告などの写真はコマーシャルですから通常は撮影者の名前は入らないのですが、私の名前を入れてくれたり、川越祭のポスター用写真を撮らせてもらったり、川越の皆さんには非常にお世話になってきました。だからこそ、現在は海外に行かずに川越の役に立とうということで、地元で色々と頑張っています。いつか恩返しができたと思えたら、先程お話しした夢を叶えるために、また外の世界に出掛けたいと思っています。

住所 埼玉県川越市連雀町14-2シャトー連雀2B
電話番号 049-299-7130
公式HP https://akiosuga.com/